澤熊講師と行く歴史ハイク

「坂の上の雲」を歩く (秋山兄弟と正岡子規、それから夏目漱石も・・・)


は、クリックで・・・拡大しますよ
瀬戸内の夜明け
我々の船が来島海峡大橋に差し掛かる頃、瀬戸内海の夜が明けてきます。

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松山観光港7:45着、朝食は船内で済ませ…朝の腹ごなしに三津浜を散策します。
三津浜は松山市の西部にあたり、昔から漁業と商業で栄えた町です。

松尾芭蕉と大原其戎の歌碑があります。 写真のをクリックしてみて下さい。


 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 巻1−8
 この歌は、斉明天皇七年(661)百済救援のため、天皇自ら皇族を従え難波を出航、福岡の那の大津に向かう途中、
 この熟田津の伊予の湯に停泊して、いよいよ出発の時に
額田王が詠ったのがこの歌とされています。
 熟田津がどこの津(港)をいうのか、今ははっきりとは判らないらしいが「熟田津の石湯の行宮」とあるから道後温泉か
 らそんなには遠くないところ?、
この三津浜が熟田津でしょうか・・・


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湊三嶋大明神・・・渡し舟を利用します。
三津−港山間約80mの港湾を結ぶ渡し船。正式には松山市道高浜2号線といい、海の上の公道です。

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湊三嶋大明神
港山の中腹、三津の内港を見守るように鎮座し、海の安全を守る神をまつります。
南北朝時代には伊予の豪族・河野氏の守護神としてあがめられ、また近隣の人々も海の安全と繁栄を願ってきました。


♪、海晴れて 小富士に秋の 日くれたり(三津浜の正岡子規)

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松山市街
チンチン電車と呼ばれる路面電車がゴトゴトと走る街は、どこかレトロな風情です。
写真の蒸気機関車は、平成13年に路面電車として復活した「坊っちゃん列車」で、
動力はディーゼルです。

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道後・松山の原付バイクのナンバープレートは「
雲形」です。「小説・坂の上の」の影響でしょうか
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愚陀仏庵

夏目漱石が松山中学校に英語教師として赴任していた時下宿していた上野家の離れを再現したものです。
子規はここに一時居候して句会などを開いていました。明治28年8月27日から10月17日まで子規はここで,
「俳諧大要」を書き,当地の「日本」派俳句結社「松風会」会員約30名を日夜指導しました。
漱石も,この宿を「愚陀仏庵」,自らを「愚陀仏」と称して,俳句に熱中していました。

 愚陀仏は主人の名なり冬籠    漱石
 桔梗活けてしばらく仮の書斎哉  子規


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秋山兄弟生誕地
秋山好古と眞之は、松山市歩行町二丁目、現在の常盤同郷会本部と修練道場(柔道場)のある場所で生まれました。
暮らし振りは貧しくとも、慈愛に溢れ教育熱心な両親のもとで育ちました。



つぎは松山城




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