澤熊講師と行く歴史ハイク                 

四国・松山

(東雲神社→松山城→砥部の里→湯築城跡→道後温泉)

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東雲神社
 松山城の真東に位置し、天照皇大神、豊受大神、天穂日命、菅原道真公、息長福玉命が祀られています。
文政六(1823)年、松平松山藩11代藩主定通が、松山城山揚木戸に仮宮を営み、藩祖である久松定勝の神霊を招請し、
息長福玉命と称えて祀ったのがはじまりである。その後、天保11(1840)年、12代藩主定穀(勝善)の代に、松山城山
長者ヶ丘に社殿を造営し、東雲大明神と呼び、一藩崇敬の神社としました。菅原道真は久松家の祖先神で、天穂日命は
菅原氏の祖神といわれています。
 明治13(1880)年には東雲神社と改称し、県社に列した。昭和20(1945)年7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物
が焼失した。昭和46(1971)年、伊勢神宮の分社松山大神宮を奉遷し、昭和48(1973)年に神明造りの社殿が完成、
松山大神宮と東雲神社の神霊が合祀奉斎されました。


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我々一行は東雲神社の横から、松山城への登城道をのぼりまが、リフトやロープウェイもあります。
松山城本丸は標高132mの山頂にあるため、登りガイがありますよ

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松山城・・・松山城の年表
松山城は、日本で12か所しか残っていない、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。
天守が現存する12城は、
「弘前城」、「松本城」、「丸岡城」、「犬山城」、「彦根城」、「姫路城」、「松江城」、「備中松山城」、「丸亀城」、
「松山城」、「宇和島城」、「高知城」
12の内なんと4城が四国にあります。

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昼食処
開花亭横の高い塔は、砥部焼の陶板を使用した高さ約15メートルの陶街道・夢タワーです。
シンボルタワーは八角形で、町内の砥部焼職人が作った560枚の陶板が使われています。

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砥部の里(砥部焼き)
愛媛県伊予郡砥部町は陶器の町、生活陶器として全国的にも人気がある国の伝統工芸品指定・砥部焼き。
白磁に透き通った藍で描かれた模様、ぼってりと重みのある手ごたえ、素朴さがなぜか懐かしい砥部焼は、
江戸時代の陶工によりこの地に産する砥石くずを原料に器を作り、登窯で豊富な松の木を燃料に焼かれていました。




石手寺
ご存知、四国八十八ヶ所の51番札所のお寺です。

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湯築城跡
道後湯月は、鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地を治めていた河野家の城、湯築城にちなんだ地名です。
「湯月」は「湯築」と「書いていたようです。

平成14年4月、道後公園が中世・湯築城の遺構をいかした歴史公園に生まれ変わりました。湯築城は、14世紀
前半から16世紀にかけて、伊予の守護であった河野氏が築いた中世屈指の城郭。発掘調査を終えた南側の
旧動物園エリアに、武家屋敷や土塀、池のある庭園などが復元されました。出土品などを展示する資料館では、
中世武士の暮らしを分かりやすく紹介しています。道後温泉とは目と鼻の先にあります。


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 道後温泉

 帰りの船(20:35)マデには2時間ほどの待ち時間があります。
 
温泉に入って、夕食をとって、カラクリ時計を見あげて・・・「坂の上の雲」紀行・無事終了です。






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