澤熊講師と行く・歴史ハイク   2008年5月6〜8日

隠岐四島めぐりウォーク

01

隠岐への第一歩は、島後の西郷港です。


02

玉若酢命神社
玉若酢命神社は隠岐総本社で、惣社大明神とも呼ばれました。本殿は、隠岐にある神社の
最古の物で、隠岐造りと言われる建築様式で昭和44年5月に県の文化財に指定されました。

玉若酢神社の巨大杉〔幹周り・11メートル〕
若狭の国からやってきた八百比丘尼がこの社に参ったとき、記念に植え、八百年後に再び訪れる
ことを約束したことから、「八百杉」と呼ばれるようになったと伝えられています。


0
玉若酢命神社の裏には
古墳群があります。


03

隠岐国分寺後醍醐天皇在所跡
明治初年までは、往時を物語る壮大さでありましたが、廃仏毀釈の嵐の中、ほとんどが焼失。
昭和になって本堂のみ再建されましたが
平成19年2月の火災で国分寺本堂は消失しました


後醍醐天皇
が隠岐配流になった際の行在所だったとも言われています。

          上の写真に・・・カーソルを出し入れ してみてください。

04

かぶら杉(島根県隠岐郡隠岐の島町中村 )
樹齢は約600年。高さ38,38メートル、根先の周は9,7メートルを測る。根元から1,5mの
ところで6本の支幹にわかれている特異な形の杉の巨木です。


05

白島崎展望台
隠岐の島町の最北端に位置し、多くの島々が散在しており、これらの島々を総称して白島といわれています。
島々は板状アルカリ石英粗面岩からなり長い年月の風化や海食によって、極めて特異な風景美をつくり出し
ています。その色彩が白みをおびていることから白島という名が生れました。
この中の沖島は 天然記念物のオオミズナギトリの繁殖地としても有名です。


06

水若酢神社
社伝によると仁徳天皇の時代の創建と伝えられています。隠岐島後北部、重栖川上流に位置し、
旧穏地郡の郡家所在地と考えられています。周囲には小規模な古墳もあり、古くから隠岐北部の
中心でありました。
国史では、承和9年(842年)に隠岐国の他の3社とともに官社に預かったと続日本後紀に見える
のが初出で、延喜式神名帳には「穏地郡 水若酢命神社」と記載され、名神大社に列しています。

本殿の造りは妻入りの大屋根の前面いっぱいに向拝が片流れでつく隠岐造りと呼ばれる形式で、
寛政7年(1795年)の竣工で、国の重要文化財となっている。


07

隠岐郷土館
明治に建てられた県指定建造物(旧周吉外三郡役所庁舎)で、今では資料館として利用されています。
中には考古資料から民俗資料、さらには動植物や岩石まで隠岐島の全てが分かる展示品が並べられ
ています。


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隠岐石楠花園
「♪、隠岐は絵の島・花の島と、唄われていますが、中でもコノ時期の石楠花が一番とか・・・
日本で最も低地に自生している石楠花です。隠岐を代表する花で「山の花の女王」と呼ばれています。
隠岐石楠花園では一万本の石楠花が、華やかに咲き誇っていました。



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1日目の宿「ホテルニューかじたに」
http://fish.miracle.ne.jp/oki-kaji/dummy.html





二日目は(島前)へ・・・




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隠岐の1日目(島後) 西郷港玉若酢神社隠岐国分寺かぶら杉石楠花園

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