澤熊講師と行く・歴史ハイク 2008年5月6〜8日
隠岐四島めぐりウォーク
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黒木御所跡. 後醍醐天皇は、元弘の変(1333)に失敗して隠岐に流された。そのときの行在所がここ黒木御所跡 だったと島の人々は伝えています。別府港の東側、こんもりした山の頂上にあります。 地元では此の山を、天皇山と呼んでいます。 醍醐天皇の隠岐での行在所(仮の御所)については、西ノ島の黒木御所と、島後西郷町の隠岐国分寺という二説があります。 急な石段を上がると、行在所跡や後醍醐天皇を祀る黒木神社などがり、行在所と伝える場所は、 一見すると砦の感じを与えます。 |
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02 | 後醍醐天皇の事を・・・詳しくは・・・ココを |
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碧風館 黒木御所跡への登り口に在り、後醍醐天皇に関する資料、黒木御所跡の伝承にまつわる文書、 絵画など展示しています。 |
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御腰掛の石 説明文→「元弘の変にて隠岐へ御遷幸になった後醍醐天皇は、別府(隠岐)の黒木御所にて密かに 御脱出を計画され、遂に元弘三年閏二月二十四日の暁に決行された。 厳重な監視から逃れて、この地に御待船の間御休息あそばれたと伝えられる御腰掛けの石である。」 |
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2艘のチャーター船に分乗して、国賀海岸のクルージングです。 風が強い早朝を避け・・・予定変更で、隠岐の最終観光となりました。 船は西ノ島の美田から船引運河を抜けて外海に出ます。 西ノ島の船引運河は、 島の中央を内海と外海を一直線で結んでいる人工運河です。。大正4年に完成し、 昭和50年に改修が行われ、漁船や観光船には無くてはならない水路となってます。 |
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国賀海岸沖のクルージングが終わり、宿の鶴丸に戻って昼食をいただきます。 |
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3日間の隠岐四島の観光が終わり・・・帰りの乗船地・別府港の目の前に見付島がポッカリ浮かんでます。 別府の名の由来は、隠岐の行政の中心「本府」は島後の西郷にあり、島前には出先にあたる「別府」が この集落に置かれていたとのことです。 「別の府」の目の前の島・目付島には、お目付け役が睨みをきかせて いたのでしょうか。 |
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07 | 島根県隠岐の歴史探訪は滞りなく終了致しました。 | |
隠岐3日目 黒木御所→国賀浜クルージング→見附島〔別府港〕〜帰途