澤熊講師と行く・歴史ハイク   2008年5月6〜8日

隠岐四島めぐりウォーク

01

島後をサヨナラして、西郷港から次の目的地・隠岐島前の知夫里島・来居港へ向かいます。
時間的に高速船は無理なので、隠岐フェリーでノンビリと・・・


02

赤ハゲ山
標高325mの知夫里島の最高峰。山頂には展望台があり、望遠鏡をのぞくと、眼前に広がるのは
空と海の青、草の緑が美しい。淡紫色の野大根の花が山腹一帯を彩っておりました。


03

赤壁
知夫里島の西岸にあるザックリとえぐられたような赤茶色の岩肌の断崖が赤壁。
1kmにわたる高さ50〜200mの断崖は、凝灰岩の風化で変色してできた赤・黄・紫色など
鮮やかな色で人々を魅了します。


04
知夫里島の来居港から島前の中ノ島・菱浦港まで貸切船で渡ります。


05

〔島前・中ノ島〕昼食のマリンポートホテル海士〔牡蠣が最高に美味しかった〕


06
後鳥羽上皇・行在所
承久の変で破れ,隠岐配流19年間,その行在所(源福寺)跡と,60歳で亡くなられ、荼毘
に付された御火葬塚が隣接してある。承久3年、後鳥羽上皇が隠岐に御還幸されたとき、
当時内を行宮とされました。
行在所跡の院の御製にある「勝田池」と「礎石」が当時を物語っています。


07 後鳥羽上皇の事をもっと詳しくは…ココを

隠岐神社
当社は後鳥羽天皇の没後700年を記念し昭和14年4月に執り行われた「後鳥羽天皇700年祭」に際し、
御火葬塚の隣接地に建てられました。社殿は隠岐造り。


08

海士町後鳥羽院資料館
隠岐神社の向かい側に立つ資料館。 後鳥羽院の亡くなる 13日前に書いて 両手形を押したという
後鳥羽院御手印御置文(複製)、配流前に母の七条院への形見として描かせた後鳥羽院御影(複製)
など、後鳥羽上皇に関する資料を多数展示されています。


09 0

摩天崖
海面から高さ257m、垂直にそそり立つけわしい崖。
断崖の上部一帯はおだやかな地形が広がり、いちめん緑の草地となっています。
ここには多くの牛馬が放牧されていました。
我々は此の牛馬の中を、通天橋〜国賀浜休息所までの2`強をウォークしました。


10

由良比女神社
。『延喜式』には隠岐国知夫郡7座で大1座、小6座の中の名神大社である。そこに、由良比女神社の
元の名は和多須神とあり、『土佐日記』には「ちぶり神」とあり、海上守護神として古来より海上安全を
祈願し、遣唐使や使節を派遣する際や外敵を防ぐときなどに、交通の要点として隠岐国の諸神とともに
丁重なる祈願をしたと『続日本後紀』や『三代実録』に記されています。


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イカ伝説
由良比女神社の社前の入り江には、毎年10月から翌年2月にかけてイカが押し寄せ、
別名「いか寄せの浜」という。知夫村に伝わる伝承では、由良比女神社は元は知夫村
の烏賊浜にあったが、由良比女神社が 現在地の由良に移されてからは、イカの群は
烏賊浜に来なくなり由良に集まるようになったという。


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2日目宿泊の隠岐シーサイドホテル鶴丸〔島前・西ノ島〕




次は3日目、黒木御所と国賀浜クルーズです。



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隠岐の2日目・島後から島前へ 
知夫里島来居港アカハゲ山赤壁中ノ島後鳥羽行在所摩天崖由良比女神社0

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